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矢島陽介の写真からは、作り込まれた画により、
短編映画のワンシーンを切り取ったような印象を受けた。
不意に撮れた画ではなく、撮りたい画が先にあるような写真に見える。
そこにどんな意思や考えがあるのかは写真からだけでは読み取りづらく、
見る側に解釈を任せているような、少し突き放したような印象も受けた。
何を考え作品を作り続けているのか直接聞いてみたいと思いインタビューを行った。 矢島陽介インタビュー写真01

SPACE CADET(以下SC):写真をはじめたきっかけはなんですか?

矢島陽介(以下YY):東京に一緒に出てきた幼なじみが東京ビジュアルアーツの写真コースに通っていて、僕はそのとき普通の四大に通っていたんですが、彼と遊んでいるうちに僕も一眼レフを持つようになりました。大学の四年間は作品作りを考えたことはありませんでしたが、それが写真を始めたきっかけですね。
その後就職をしたんですが、写真をきちんと勉強してみたくなりました。基本的なことを勉強してみて、自分が職業として興味があるかを考えたかったんです。 それで夜間の専門学校に通いはじめました。仕事を続けながら週一とかで。 そこはスタジオ系の専門学校でライティングやモデル撮影をする学校だったんですが、そのスタジオワークやらブツ撮りやらがすごくつまらなく感じてしまって、こういうことがしたいわけじゃないんだ、ということがよくわかりました。 逆に、作品撮りをしたいというのがはっきりしましたし、写真とは関係ない仕事を続けようとも思いました。その中で生まれるものと向き合っていくというのが自分には合っているんじゃないかと思いました。それが2005年く
らいです。

SC:そのころにエスクァイアに出してますよね?

YY:そうですね。学校を卒業して一年後くらいです。当時エスクァイアのデジタルフォトアワードっていう、インターネットで応募ができて、かつデータを送ればいいだけっていうのがあって、手軽だなと思い応募しました。そうしたら偶然やなぎみわさんが選んでくれて、賞を頂いてしまった。(笑)じゃあちゃんと作品作りしてみたらどうなんだろうと思って続けて、今に至るという感じです。

SC:そのときはデジタルカメラで?

YY:はい。当時持っていたスキャナーの性能が低かったんです。いいのは高かった。35mmのフラットベッドしか持ってなくて、スキャニングすると色がちゃんと出ないし。カラーのプリントも自分でしていた訳ではないので、デジタルの方が理想の色に近づけるんじゃないかと思っていました。それと、お金もなかったし、そのときはずっとスナップをやっていたので、自分が撮りたいものが撮れる瞬発力を身につけたいなと思っていたというのもあります。一年か二年は作品にならなくてもいいから、練習でデジタルカメラで撮ろう、と。

SC:いまの作品にもデジタルが入っているんですか?

YY:何枚かは混ざっていますが、基本的には6×7のフィルムです。

SC:6×7で撮った写真はプリントするんですか?

YY:暗室でやっています。

SC:どこかで暗室をはじめることがあったんですね?

YY:そうですね。6×7を買った時に暗室に入りはじめました。最初は貸暗室を使って一年間くらいは勉強しようと。月に一、二回ずつ技術を身につけようと思って入っていました。

SC:フィルムを使いはじめて暗室を覚えるっていうのはその時の自分の興味だったのか、それとも一点一点の価値を高めたいと思ってですか?

YY:(一点一点の価値を高めたい)っていうのはあります。自分の作品が、物質として「美術品」にするにはどうすればいいか勉強している中で、一枚の価値というか、物質としての価値が重要だと感じていました。たとえば当時(2006年頃)はギャラリーとかにブックを持って行っても「これインク
ジェット?」「ちゃんとプリントを持ってきてよ」と言われて。自分が見てほしいギャラリーの人がことごとくそう言うんだから、ちゃんとプリントじゃなければいけないんだ、じゃあプリント持っていこう、それも自分でちゃんとプリントしたものを持って行こう、と。

SC:美術などは勉強してたんですか?

YY:してないですね。興味があるものは調べますが。

矢島陽介インタビュー写真02

SC:今回SPACE CADETに掲載している「a place in the cliff」はかなりコンセプチュアルな印象を受けるんですが。

YY:6×7を買って以来、ずっと続けている作品です。

SC:「a place in the cliff」は今も続けているんですか?

YY:そうですね。少しずつ自分がポイントとすることは変わってきていますが、進行形の作品です。このシリーズ以外はほとんどつくったことがないくらいです。他にも色々撮りますが、結局この作品を作る感覚に戻ってくる。

SC:矢島さんの中にある感覚で、そのポイントとなることは何ですか?

YY:抽象的な言い方ですが、ずっと自分の中にある感覚としては、前も後もない圧倒的な「今」を
獲得したいというか、切り取りたいという感覚です。物質的には写真はまさにそういう装置なんで
すが、自分の感覚として、その目の前に見えるものを「断片」として形にしたいというか、捕まえ
たい、というのがあります。

SC:言葉にするのが難しそうですが、もう少し話してもらえますか。

YY:言い換えると、今(断片)は今(断片)でしかない、というか。それを自分の実感に落とし込むためには、見えるものに対する自分自身の能動的な想像とか働きかけが不可欠だ、という感じですかね。そのために断片を捕らえたい。

SC:「想像」というのは、撮る時にですか、見てもらう時ですか?

YY:どちらもですが、僕自身も鑑賞者の視点に立ちたい、という感じがあります。要するに、自分自身も含めた鑑賞者に対するアプローチですかね。
例えば僕らって、普段目の前の出来事を理解する為には、今までの経験とか記憶とかを基に見ているものを組み立てていると思うんです。もし、いま僕がポンとまっさらな状態でここにいたら何がなんだかよく分からないはずですよね。自分の経験を基に、いろいろな前後関係を想像して理解をしているから、今はインタビューを受けていて、自分が写真のことを話しているというのもわかる。 同じように、写真を見る時も、その断片を見て前後関係を想像しているんだと思うんです。写っているものや場所は、鑑賞者が見たわけではないという違いはあって、そこが面白いんだけど、理解するためのプロセス自体は近いと思う。

SC:なるほど。その感覚を作品にするには、どんなことが重要になるんですか?

YY:自分の姿勢として、まず観ること、観察することが重要だと思っています。よく観ること。そうすることで、自分自身被写体や世界そのものに対して、能動的な立場が取れると思います。
それと、方法としては、写真を撮るときのプロセスを自分の中で逆にしてみたらどうだろう、というのがありました。つまり、前後関係がある世界を切り取るのではなくて、そういうものがない、思いつきの断片をポンと思い浮かべてポンと写真にする。自分でもはっきりとした説明のできない意味のわからないモノもあるんですけど、なるべくそのまま写真にします。唐突な状況で、何の意味もなくてもいい。もちろん、それが自分が求めている感覚に一致していないと「撮りたい」とはなりませんが。で、その断片を文脈なく並べるというのが自分の感覚とすごく合っていますね。ストーリーなくポンと並べるというか。それぞれの写真の中に入っているマテリアルにも、文脈のない唐突感のようなものがあると思う。

SC:その断片を提示しているというか撮っているというのはすごくわかります。矢島さんの写真の中の、女の人がぽつんと立っている写真が思い浮かびました。あれとかもイメージというか、撮ろうとしている画が先にあってあそこに立ってもらってるんだろうなっていう印象が強いんですが。

YY:昔はスナップでそういう瞬間をさがしていたんですけど、スナップだと撮ってる側というか見ている自分側からの動きが出てくるんですよね、ちょっと感覚的な話なんですけど。でも断片しか思い浮かべてないものを写真に落し込むと前後関係がないので自分の中で断片にしかならないんです。なにか一連の世界の流れの中を切り取ると、どうしても無意識のうちにその前後を想像するので。最初から断片でぱっと思い浮かんだ、意図も理由もない画を断片に落し込むというのが自分の中でしっくりきます。

矢島陽介インタビュー写真03

SC:それでも前後関係を想像してしまうものもありますよね?

YY:そうですね。結局人は想像しますよね。ただ、こう考えて作品を作ると、写真はより「断片」でしかなくなって、鑑賞者の想像がより重要になる気がします。
僕はずっと、目の前にポンと現れる現実が、すぐに実感になりにくいような感覚があって、それは生活環境の影響かもしれませんが、実感が得にくい感じがしてならない事がある。テレビやインターネットなんかの視覚体験を通じて感じる不安だったり、色々ですが。だからじっくりと見て、それが一体何なのか、自分を取り巻くパラダイムを剥がして理解したいというか、先入観を取り除きたいのかもしれないです。

SC:撮りたい作りたいと思う写真に対する強い意思を感じますが、そのイメージに共通するものは何だと思いますか。また、具体的な興味の対象はありますか。

YY:ずっと続けている中で最近思ったことなんですけど、明治時代とか江戸時代ってダゲレオタイプとかで撮ったポートレイトがありますよね。たとえば主婦が台所で大根を洗っている写真とか。そういうものを古いアーカイブとかで見た時に、すごく不細工に見えたり、なんでこの人はこれを持ってここに立っているんだろうとか変な組み合わせや意味のわからない唐突感みたいな要素があるじゃないですか。僕の写真はあの感じに近いのかなと思って。写真を「断片」にしようとするとき、そういう唐突感みたいな要素があるイメージはすごくフィットするんです。見たときにスッと入らないような。 そういう古い写真って2011年の僕が見るからおかしいけど当時の人が見たらおかしくないかもしれない。それってなんの違いかって考えると、みんなのベースにあるパラダイムというか当たり前として持っている常識というか、そういうものの違いだと思うんです。でもその違いってどっちが正しいとかではなくて。僕自身、そういうパラダイムのズレみたいなものに興味があります。
ありきたりな話かもしれないけど、この前の震災が起こるまでは放射能が自分の身にふりかかるなんて想像もしなかったじゃないですか。 でも今その状況下で普通に生活していて、しかも慣れてきてしまっている。 僕も普通に生活していますけど、客観的に見たらこれってすごい変化だと思うんです。わずか3ヶ月前の自分のパラダイムとの違いも大きいはずなのに、慣れてしまうとその変化もわからなくなる。僕はこれに対してよく見ていたい。これは結局、よく見る、観察するということに繋がっていますよね。

SC:写真を見慣れている人ってすごく想像すると思うんですよ。一方で写真をあんまり見慣れていない人って想像しない人が結構いると思っていて。そこについてはどうですか?

YY:うーん、想像しないってのは言いすぎだと思いますけど。(笑)漠然とした一般論ですけど、傾向としてそういう感じになりやすい環境なのかな、とは思います。色んな事に受け身でも、なんとなく成り立ってしまうことが多いというか。あらゆるものが全部情報を与えてくれるから、ほんのちょっとのアクションでたくさんの事がわかる世の中というか。そもそも身の回りにあるものがすでに相当セレクトされたものばかりで、食品も生活雑貨も、色んなものがそういう安心感を与えてくれる感じがします。
自分がパラダイムのズレみたいなものに興味を持っているのも、少なからず自分が生活している今のそういう傾向というか、文化というか、そういうものの影響があると思います。

SC:写真て語りすぎるとつまらなくなる場合もあると思うのですが、ちょっと補足する言葉がついていると、すごく見やすくなったりしますよね?そういう役目はいらないと思いますか?

YY:いえ、そんな事はないです。こういうふうに具体的な事例を交えて話ができるようになったのは最近で、逆にいままではあまり自覚できていなかったです。なんでこういう感覚の写真をずっと撮っているんだろうって。最近ちょっと説明ができるようになったので今後はきちんと話していこうと。ずっと興味があったものが最近ようやく繋がってきていて。色々な事がうまく繋がればもっと広がった見せ方ができるかもしれないですよね。

SC:それは写真が賞などをとって世界が広がってきていたり、いろんな人と話したりする影響からですか?それとも自分の中で整理がついてきたからですか?

YY:どっちもですね。外からの刺激は受けますから。

SC:やっぱり話しを聞いて納得感や新しい発見があると写真の魅力って増しますね。あとは、今後のことも少し教えてもらいたいのですが。近々展示をされる予定なんですよね?どんなところでされるのですか?

YY:タップギャラリー(http://tapgallery.jp)っていうところで、僕とほぼ同世代の方々が自主運営でやっているギャラリーです。9月20日~10月2日まで、13:00~19:00で開廊しています。僕は土日祝日はほどんどいるので、ぜひたくさんの方に見ていただきたいです。9月23日にはちょっとしたオープニングパーティーも催します。

SC:今後は展示をしたり、作品をつくったりするのがベースになりますか?

YY:まだ具体的ではないですが、新しい事をはじめたいですね。いま次の作品をつくろうと思っています、まだ2、3枚しか撮れてませんが。そのシリーズをもっと増やして次の展開をしたいなと思いますね。

SC:日本を離れた状況から、日本を見てみたいとか、今後海外に住みたいとかっていうのはありますか?

YY:今生活している環境を客観的に見たいという気持ちはあります。ただ、色々行きたいところはありますが、住みたくはないです。やっぱり日本の文脈で生きている感覚があるので。突然海外にいって生活して作品をつくっても僕にとってはあまり意味がないというか。日本で生活していて感じている身体性のようなものを出せるようになりたいですね。

SC:仕事をしているのは写真にとってプラスですか?それともできる事なら写真だけでいきたいですか?

YY:ここ何年かは写真とは別の仕事もしている方がプラスだと思っています。身体性って言いましたが、ここ(日本)で感じる経済の流れとか世の中の捉え方とかをリアルタイムで感じているので、そういうところから立ち上がってくるものを写真にしている感じもあります。そういう意味でも、今はそこから離れてはいけないと思います。

2011年6月